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宇都宮地方裁判所 昭和33年(わ)194号 判決

被告人 村上正一

主文

被告人を禁錮三月に処する。

本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三〇年四月頃有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦焼津港より漁船第一勝漁丸に乗船して本邦外の地域である中華人民共和国の上海に向け出国したものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は出入国管理令第六〇条第二項第七一条罰金等臨時措置法第二条に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮三月に処し、情状刑の執行を猶予するを相当と認め刑法第二五条により本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人の負担とする。

(弁護人及び被告人の主張に対する判断)

一、弁護人竹沢哲夫及び被告人の旅券法第一三条第一項第五号は憲法第二二条第二項に違反するから無効であり、それを受ける出入国管理令第六〇条第七一条の規定は憲法に違反するとの主張について。

憲法第二二条第二項の「外国に移住する自由」には外国へ一時旅行する自由をも含むものと解すべきであるが、外国旅行の自由といえども無制限のままに許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきである。そして旅券発給を拒否することができる場合として、旅券法第一三条第一項第五号が「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定したのは、外国旅行の自由に対し公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることができ何等無効の規定ではない(最高裁判所昭和二九年(オ)第八九八号昭和三三年九月一〇日大法廷判決参照)。その他右規定を含む旅券法には何等憲法に違反する内容の規定は存在しないのであるから、本邦外の地域におもむく意図をもつて出国する日本人は旅券法所定の手続を践んで旅券の発給を受けた上出入国管理令第六〇条第一項により有効な旅券に入国審査官から出国の証印を受けなければならないことは謂うまでもない。それ故右出国の証印を受けなければ出国できない旨の同条第二項の規定は何等憲法に違反するものではなく、同項の規定に違反して出国したものを処罰する旨の同令第七一条の規定が合意であることは謂うをまたない。さればこの点に関する弁護人等の主張は採用しない。

二、弁護人松永謙三同竹沢哲夫及び被告人の、被告人は共産党員であるため旅券発給の申請をなしても発給を受けることは当時の状勢として不可能であつたのであるから、そのような手続を践まずに出国した被告人の行為は期待可能性がないとの主張について。

旅券法は前述のように憲法に適合した法律であるから、本邦外の地域におもむこうとする日本人が同法所定の旅券発給申請手続を践むべきことを要請されるのは当然である。万一旅券発給を拒否されたとしても法による救済手段に訴えるならば格別、旅券を所持せず従つてこれに出国の証印を受くることなく敢えて出国する如き法無視の手段に出ることは普通人として容易に採らぬところである。換言するならば、旅券を所持せず従つて証印を受けえない場合には出国を思いとどまるであろうことは一般に期待し得るところである。

然るに被告人は、このような手続を践んでも旅券の発給を受けることは絶対にありえぬ、従つてこのような手続の履践は無意味であるとの考えの許に所定の手続を経ることなく敢えて出国したものである。このような被告人の所為が法秩序を無視するものとして非難を受けることは当然であつて、期待可能性を欠くものとして救済さるべきいわれはない。被告人が中国に渡航した意図をいかに正当であると確信しようとも法秩序を無視して出国したことに変りはないのであるから、その結論においては、異るところはない。されば弁護人等の該主張は理由がない。

三、弁護人松永謙三の本件は公訴時効が完成しているとの主張について。

刑事訴訟法第二五五条第一項は「犯人が国外にいる場合」時効は「その国外にいる期間」その進行を停止することを明記している。右の「犯人」とは客観的な犯人を意味し捜査官に覚知された者であると否とを問わぬと解するのが相当である。本件において被告人が昭和三〇年四月頃所定の手続を履践せずに本邦焼津港より上海に向けて出国したときに本件犯罪が成立し、そして犯人である被告人はその後中華人民共和国に滞在し昭和三三年七月一三日我が領海内に達し舞鶴港に入港したのであるから、それが「犯人が国外にいる場合」に該当することは明白であり、その被告人が国外にいた期間については本件記録中の刑事訴訟規則第一六六条に基く検察官提出にかかる資料によりその証明は充分であるから、時効は「その国外にいる期間」その進行を停止していたと謂うべきである。従つて被告人に対する三年の公訴時効は被告人が再び我が領海内に入つた時即ち昭和三三年七月一三日から進行したのであつて、それが未完成であることは明白であるから、弁護人の該主張もまた採用できない。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 菅原二郎 小沢博 桑田連平)

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